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Ecology

私たちが提案するECOとは

自転車と公共交通機関を使ってDoor to Doorの

通勤・通学(ジテツウ)するライフ・スタイルです。

開発ストーリー

・ロードバイクをお供に倹約旅行していたが、もっと手軽に持ち運びができ、ロードバイクの様に良く走る折りたたみ自転車を探していた。丁度その頃、折りたたみ自転車のブームで選択肢は、枚挙にいとまがなかった。おそらくR社とB社が最高売り上げ台数を記録したのもそのころだったと思う。仕事場近くのスポーツバイク専門ショップへ毎日のように通いK社の最上位機種に狙いを定め2007年11月幕張メッセで開催されたサイクルモードショーへ行き試乗した。しかし、期待を大きく裏切られた。仕方なく会場中の折りたたみ自転車を試乗しまくったが、これと思うものに出会えなかった。閉館のお知らせが流れ始めたので諦めて帰ろうとしたときD社のブースの上の方を見た。そして、真珠のように輝くパールホワイトに塗られた25thアニバーサリーモデルに目が釘付けになった。しかし、もう試乗する時間が無かったのでカタログをもらい家路についた。もうそれからはパールホワイトに輝く車体が脳裏から離れずにD社のカタログを眺め続け、スポーツタイプで最上位の折りたたみ自転車を選んだ。そして、翌日には、いつもの職場近くのショップへ行き注文した。待ちに待って納車された最初の休日に銚子へサイクリングに出かけた。ところが10Kmも進まないうちに引き返す羽目になった。何故ならばきちっと整備されているのにブレーキが全く効かなかったのでそれ以上走るのを諦めた。後で分かったがブレーキのアームが長過ぎてホイールへ制動力が充分に伝わらない構造的欠陥だった。しかもD社のオリジナルで翌年のモデルから予告もなく変更された。それが長い折りたたみ自転車探し旅の始まりだった。

・まだ折りたたみ自転車に特化した専門ショップがあることを知らなかったので自力でD社の折りたたみ自転車の改良を一年間試みたが上手くいかずに諦めた。そして、折りたたみ自転車の専門書を読み漁り、再びサイクルモードショーで片っ端から試乗したが納得できるものが無かった。最後にダメもとでB社の折りたたみ自転車に試乗して驚いた。16インチ(349)と小径だったので初めから候補から外していたが、以外にしっかりした造りで走行性能も悪くはなかったからだ。しかし、いざ買おうとしたらB社の取扱店が近所に無かったので直ぐに買えなかった。丁度その時リーマンショックがあり1ポンドが270円から130円と一気に円高になったので英国へ直接買いに行った。日本の表玄関成田空港の御膝元に居るので東京の専門ショップへ行くより英国へ行った方が早いと思っていた。また、B社のB車というネーミングは、B社がハロッズデパートがあるB通りで創業したからと聞いたことがあった。そして、ある折りたたみ自転車の専門書を読み英国では一家に1台以上一人に1台普及している国民車的だと紹介された記事を信じていた。いざ英国に着いて直ぐにがせねただと気付いたが後の祭りだった。B通りとその裏通りの合計3本の通りを2往復づつしてもB社の看板どころかまともな自転車ショップの1件すら発見できなかった。最悪でも乗っている人に出会えればどこで買ったか聞けると高を括っていたが、B車に乗っている人を誰一人も見掛けなかった。B通りをとぼとぼと歩きながら井上陽水の歌を口ずさんでいた。根っからのプラス思考でベスト御尽くせば最後は何とかなると思っていた。そして、ロンドン名物の赤い2階建てのバスが目の前を通り過ぎた時に閃いた。視点(目線)を変えれば今まで見えなかったものが見える様になると思いバスターミナルのあるヴィクトリア駅へ行き2階建てバスの2階席に乗った。バスが走り出しヴィクトリア駅を出て数秒で自転車ショップが見つかった。早速ショップへ入り祈る気持ちで店内を見渡した。ターゲットは希少性の高いチタン製の最上位機種のみ……店の奥に1台展示車が見えた。近づいてよく見るとチタン製モデルだった。

・しばらくはそのまま乗っていたが、程なく不満が蓄積して改良し始めた。気が付くと車両本体価格よりカスタム代金の方が高くなり、両方合わせると片手以上になっていた。別に自慢してるわけではないマニアックな世界では、これが当たり前でまだかわいい方である。例えばスポーツ自転車の重量を1Kg軽量化するのに10万円と言われておりBeforeAfterで約2.5Kg軽量化したのでそんなものである。しかし、こんなに予算を掛けてもまだ満足できなかった。もしかしたら同じ予算でオリジナルの折りたたみ自転車が作れるかもしれないと思った。そう思ったら次々と色々なアイディアが湧いてきた。しかし、単なるヘビーユーザーに作れるはずがない仕事も忙しいから無理だと自分に言い聞かせ、定年後の楽しみに取っておいた。

・そんなある日、東日本大震災があり地震と津波による甚大な被害を目の当たりにして、価値観が180度転換した。そして、人生なんて儚いもので自分の意思とは無関係にパッと散ってしまうこともあるから、やりたいことは今やらないと後悔することになると悟った。また、東日本大震災の前から約束してた3月末に行くサイクリングの打合せのため仲間と集合したが、当然サイクリングは中止になり東日本大震災の話題となった。そして、天災はいつやってくるか分からないが、原発事故は人災だから原発に頼らない世の中にしなければならないと話し合った。そして、趣味の延長ならば楽しみながら出来るだろうと原発に頼らない社会に貢献出来る折りたたみ自転車造りを決意した。

・初めは、幼稚園児よりもへたくそなスケッチを100枚以上書いた。すると不思議なことに漠然としていたアイディアが次第にはっきりとしてきた。しかし、それこそ絵に描いた餅なので、これで本当に折りたためるのか全く自信が無かった。その頃は、CADどころかパソコンにほとんど触ったこともなく確認手段が無かった。別にパソコンが苦手とか嫌いとかではなく使う目的もないのに無駄だから必要な時に揃えれば良いと思っていた。そこで、昔使っていた建築用の設計道具を引っ張り出して、自己流だが8カ月をかけて1枚の設計図を書き上げた。

・次に設計図通りに製作してくれるパートナーを探すため日本中に尋ねた。そして、台湾へも出掛けて探したが、誰も引き受けてくれなかった。諦めかけたころ地元幕張メッセ開催ということもあり2005年の第一回目から皆勤賞で集めたサイクルモード・ショーのパンフレットが山ほどあり、その中の1枚のポストカードに目が止まった。ハンドメイド・バイシクルの匠J氏のポストカードである。ハンドメイド・バイシクルの匠と言ってもJ氏は、まだ30歳の才能溢れる青年だった。何気なくもらい気にも留めていなかったポストカードなのにJ氏から直接手渡しされた瞬間が昨日のことの様に蘇り、なぜだか分からないがJ氏ならば試作車を完成してくれると思った。藁をも縋る気持ちで朝一番に電話をかけるとJ氏は、快諾してくれた。早速、仕事の合間を縫い1枚の設計図を携えてJ氏宅を訪ねた。

・J氏は、CADを使って手書きの設計図を基に2D詳細設計図と3D設計図へと簡単に書き上げた。しかし、その先が思う様に進まなかった。なぜならば私もJ氏も制作するのに自前の工房を持っていなかったからだ。唯一自由に使える工場が信州の山の中にあったが、往復するのだけでまる2日かかり、交通費だけでも馬鹿にならない。試作するときは一度で上手くいくことなどめったに無く何度も何度も修正しなければならない。特に折りたたみ自転車のプロトタイプとなると尚更である。仕方なく近所の工場を借りたが、使えるのは工場が休みの日曜日だけなので休日を返上して試作を繰り返した。イメージすることは、割合簡単だが、イメージ通りに形にするのはかなり難しいことだと痛感した。ようやく約1年後にプロトタイプ1号を完成させ、更に2年間試行錯誤を繰返しPATTO BIKE 451を完成させた。

ここは、PATTO BIKEの商品情報楽しみ方を紹介するサイトです。

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